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May 2022

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縄文時代の赤い漆器

  • 石川県の三引遺跡から発見された約7200年前の漆塗りの櫛の破片
  • 青森県八戸市の是川中居遺跡から出土した約3000年前の籃胎(らんたい)漆器
  • 青森県八戸市の是川中居遺跡から出土した3000年前の漆塗りの土器
  • 縄文時代の漆の採取の復元画 (石井礼子画)
  • 是川中居遺跡から出土した約3000年前の木胎漆器
青森県八戸市の是川中居遺跡から出土した3000年前の漆塗りの土器

日本で漆を利用する歴史が始まったのは、縄文時代であることが知られている。縄文時代に作られた漆器について、学習院女子大学の准教授、工藤雄一郎さんに話を伺った。

縄文時代の漆の採取の復元画 (石井礼子画)

今から、およそ16,000年前から2,900年前までの約1万3000年余の間の日本は、縄文時代と呼ばれている。縄文時代、人々は定住的な生活を営み、木の実や魚介類を採集したり、動物を捕獲しながら生活していたが、最近の研究ではクリやダイズなどの植物の栽培を行っていたことも知られている。石器のほか、数多くの土器が作られていた時代で、縄目の文様を付けられた土器が多かったことが、名称の由来だ。

縄文時代には、土器とともに各所で漆製品が作られていた。ウルシの木は、縄文時代の始め(12,600年前頃)のものが発見されている。その後、約7500年前ごろにはウルシの樹液(漆)を使った様々な製品が作られるようになった。

石川県の三引遺跡から発見された約7200年前の漆塗りの櫛の破片

「富山県の上久津呂中屋遺跡(かみくづろなかやいせき)、石川県の三引遺跡(みびきいせき)から発見された漆塗りの櫛の破片は、約7500〜7200年前のものであることが確認されています。これが、現在における日本最古級の漆器製品であり、世界でも最古級の漆器と言えます 」と縄文時代の植物利用について調査研究をしている学習院女子大学国際文化交流学部日本文化学科の准教授、工藤雄一郎さんは話す。「いずれにせよ、7500~6000年前から、日本列島に漆を利用する文化が発達していたことは間違いありません」

ほかにも、縄文時代の漆器は各地で出土している。例えば、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一つ、青森県の日本最大級の縄文集落跡 “三内丸山(さんないまるやま)遺跡”からも、約5500年前のものとされる漆塗りの赤い木皿や赤色顔料が見つかっている。そして、すでに7000年前頃には赤色と黒色の組合せによる表現や象嵌i技法を用いていたことが確認されている。縄文時代晩期(約3200〜2900年前頃)には籃胎(らんたい)漆器iiなども作られ,非常に高度な漆文化を縄文人はもっていた。

青森県八戸市の是川中居遺跡から出土した約3000年前の籃胎(らんたい)漆器

しかしながら、ウルシの樹液に触れると肌がかぶれる。また、樹液の採取には大変な手間がかかる(参照)。なぜ、縄文時代の人々はあえて、そんなリスクや手間をいとわず、漆器を作ったのだろうか。

「赤は生命力の象徴としての呪術的な意味合いだけでなく、やはり、赤い顔料を加えて塗布された漆製品が“美しいから”でしょう。縄文時代の人々は自然界から弁柄(ベンガラ)や水銀朱を採取し、赤い漆器を好んで作っていました。漆に勝る美しく麗しい塗料は、自然界に存在しないと思います」

耐久性、耐水性を高めるだけであれば、赤くする必要はない。工藤さんの言うとおり、主に美しさのためかもしれない。朱塗りの漆器は、今日でも黒色とともに日本の漆器を代表する色だ。是川中居遺跡から出土した朱塗りの漆器を復元すると、現在でも本格的な和食を盛るのに使えそうなくらいに完成度が高い。数千年前に日本に住んでいた人々の生活が、現代の私たちが想像する以上に安定し、充実したものであったことを物語っているのではないだろうか。

是川中居遺跡から出土した約3000年前の木胎漆器

* 素地土である胎土と違う色の土で模様を際立たせる装飾方法
** ササで編んだ籠(かご)に漆を塗ったもの