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August 2022

自然に対する深い愛情を表現した俳人:加賀の千代女

  • 1773年に、浮世絵師の礒田湖龍斎(いそだ こりゅうさい)が描いた加賀の千代女の肖像画
  • 千代女の里俳句館に立つ、尼僧姿の加賀の千代女の像
  • 加賀の千代女自身の手による「百生(ひゃくなり)や蔓(つる)一すじの心より」の句と、百生の絵の掛け軸
1773年に、浮世絵師の礒田湖龍斎(いそだ こりゅうさい)が描いた加賀の千代女の肖像画

自然に対する深い愛情を表現した俳句を詠み、俳句を通じて国際交流の先駆けを果たしたとされる俳人、加賀の千代女(かがの ちよじょ。1703〜1775年)を紹介する。

千代女の里俳句館に立つ、尼僧姿の加賀の千代女の像

加賀の千代女(以下「千代女」)は、1703年、加賀国松任(まっとう)(現在の石川県白山市(はくさんし))の、掛け軸などを仕立てる表具屋の娘として生まれた。千代女は、幼い頃から父が集めた書画に囲まれて育ち、6歳*の頃にはすでに俳句を詠んでいたと伝わっている。

17歳のときには、俳人・松尾芭蕉**の弟子、各務支考(かがみ しこう)に俳句の才能を認められ、「あたまからふしぎの名人(不思議というしかないほどの名人)」と評された。こうした周囲の評価にも後押しされ、千代女は俳句の創作に打ち込んでいく。その後、両親や兄弟が相次いで亡くなり、30代半ばから一時、家業を切り盛りするために俳句から離れたが、40代後半から1775年に73歳で亡くなる直前まで俳句の創作に情熱を注いだ。千代女が一生のうちに詠んだ俳句は、現在までに約1900句確認されている。

千代女の故郷である石川県白山市に建つ「千代女の里俳句館」の学芸員、横西彩(よこにし あや)さんは「千代女の句は情緒的で、豊かな感性と自然に対する深い愛情がうかがえます。生まれ育った土地の豊かな自然と四季折々の美しい風景が、彼女の作る句に影響を与えたと言えるのではないでしょうか」と語る。

千代女は52歳の時に出家し、仏門に入り、尼僧となった。横西さんは、「千代女は、『世の中が嫌になったから出家したのではなく、月日の流れの早さに心細くなったため』と(記(しる))しています。ただ、尼僧となった後も、千代女は多くの俳句を作っています。おそらく家業が軌道にのって、俳句に打ち込める環境になったのではないかと考えられます」と話す。

加賀の千代女自身の手による「百生(ひゃくなり)や蔓(つる)一すじの心より」の句と、百生の絵の掛け軸

千代女が世により広く知られるようになったきっかけの一つに、朝鮮通信使***へ俳句の献上がある。1763年、朝鮮通信使一行が、徳川家治(とくがわ いえはる。1737~1786年)の第10代将軍就任祝賀のために来日した時、61歳の千代女は、この一行に、俳句を献上することになったのだ。

「千代女は、加賀藩****の命を受け、掛軸6幅と扇15本に自作の句を書いて献上しました。これは、日本の俳句作品が公式に海外へ紹介された、極めて初期の事例です。つまり、千代女は、俳句による国際交流の先駆け役を果たしたと言えるでしょう。さらに、明治時代(1868~1912年)には、ドイツの日本文学研究者カール・フローレンツ(1865〜1939年)や英国の言語学者バジル・ホール・チェンバレン(1850〜1935年)によって、千代女の俳句が翻訳、紹介されたことで、“女詩人チヨ”としてその名が世界に広がりました」と横西さんは言う。

千代女の豊かな感性と自然に対する深い愛情が、日本人のみならず、外国人の心にも触れたにちがいない。

* 年齢は全て、伝統的な「数え年」での年齢。生まれた時を1歳として、1月1日を迎える毎に1歳ずつ加える。
** 芭蕉は17世紀の俳人で、「俳聖」として知られる。Highlighting Japan 2022年5月号参照 https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202205/202205_12_jp.html
*** 朝鮮通信使は1603年から1811年まで12回にわたり朝鮮国から来日した外交使節団。
**** 加賀藩は、現在の石川県と富山県にあたる地域を所領とした、江戸時代で最も有力な藩の一つ。



朝顔やつるべとられてもらひ水

千代女の最も有名な句。制作年は不明だが、若い頃の作と考えられる。季語は「朝顔」で秋。「朝早く起きて井戸の水を汲みに行くと、釣瓶(つるべ)の縄に朝顔の蔓(つる)が絡みついて美しい花を咲かせていた。水を汲むために蔓を切ってしまうのは忍びないので近所から水をもらってきて間に合わせた」という様子を詠んでいる。早朝のすがすがしい空気や美しい朝顔に寄せるやさしさが感じられる趣き豊かな句である。



紅(べに)さいた口もわするゝしみづかな

制作年不明。季語は「しみづ(しみず)」で夏。「焼けつくような暑い夏の日、きちんと口紅をさして家を出たものの、あまりの暑さに途中で見つけた清水で口紅が落ちるのも忘れて喉を潤した」という光景を詠んでいる。せっかく塗った口紅が水で落ちてしまったことを気にする繊細な感情が読み取れる句だ。



百生(ひゃくなり)や蔓(つる)一すじの心より

25歳の頃の作。季語は、「百生(ひゃくなり、ヒョウタンのこと)」で初秋。この句は、仏教の教えを基に作られた句で、一本の蔓から多くのヒョウタンの実がつけるように、「人間のすべての行いはただ一つの心から生まれる。すべては心の持ち方次第」という内容を詠んでいる。この句を書いた千代女の書画が多く残っていることから、自身も気に入っていたと考えられる。