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November 2022

日本におけるガラスの利用とガラス工芸

  • 土田ルリ子・富山市ガラス美術館館長
  • 富山ガラス大賞展2021で大賞を受賞した佐々木類さんの「植物の記憶」(各 高さ84センチメートル、幅44センチメートル、奥行き1.4センチメートル)
  • 佐賀県の吉野ヶ里遺跡で発掘された管状の青色のガラス「管玉(くだたま)」
  • 薩摩切子 三段重(九州国立博物館所蔵)(19世紀)(高さ12.4センチメートル、直径10.3センチメートル)
  • 藤田喬平作「飾筥・醍醐(かざりばこ・だいご)」(富山市ガラス美術館所蔵)(2003年)(高さ19センチメートル、幅30センチメートル、奥行き26センチメートル)
土田ルリ子・富山市ガラス美術館館長

今年、2022年は国連総会で決議された「国際ガラス年」である。国際ガラス年日本実行委員会委員で富山市ガラス美術館館長の土田ルリ子さんに日本のガラスの利用の歴史やガラス工芸について話を伺った。

富山ガラス大賞展2021で大賞を受賞した佐々木類さんの「植物の記憶」(各 高さ84センチメートル、幅44センチメートル、奥行き1.4センチメートル)

人類は5000年以上前からガラスを作っていたと推定されていますが、ガラスの歴史や特性を教えてください。

石英が主成分の砂である珪砂(けいしゃ)と、ソーダ灰*、石灰を主な原料とするガラスは、人類が初めて作り出した人工素材と考えられています。当初は、トルコ石や水晶など自然石の代わりとして装飾品に用いられていました。その後、高貴な人々が使う装身具、瓶、椀などにも使われるようになります。19世紀以降、ガラス製造の技術が急速に進歩し、大量生産が可能になると、窓やランプなどの日用品として一般に普及しました。近年は、自動車や航空機の部材に、ガラスを繊維化したガラスファイバ(参照)が使われるなど、人々が気付きにくいところでもガラスは広がっています。

ガラスの重要な特性の一つは透明であることです。光を通したり、屈折させたりできるので、メガネ、望遠鏡、顕微鏡に使われています。また、ガラスは脆(もろ)いというイメージがありますが、成分や製造方法を変えることで、高強度の素材にもなります。例えば、空気との摩擦で超高温となるスペースシャトルの機体先端にも特殊な耐熱ガラスが用いられています。この他、色々な形に加工できるのもガラスの特性です。そのため、用途や意匠に応じて、様々な工業製品や美術工芸品を作ることができます。

国際ガラス年の概要を教えてください。

2021年5月の国連総会で2022年を「国際ガラス年」とすることが決議されました。これまでお話ししたように、ガラスは科学技術や文化の進歩に深く関わってきました。これからの人類にとっても重要な素材であり続けるでしょう。例えば、ガラスはリサイクル可能な素材なので、「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成のために果たす役割は大きいです。しかし、こうしたガラスの重要性は一般の人にはあまり認識されていません。

こうしたことを踏まえ、国際ガラス年は「過去、現在、そして未来の輝かしいガラスを祝福する」というビジョンを掲げています。多くの人にガラスの果たしている役割やその可能性を知ってもらうために、ガラスに関する科学技術や芸術の様々な教育プログラム、展示会、イベントが世界各地で開催されています。

日本においても、ガラスの美術工芸品の展覧会、ガラス作りを体験するイベント、ガラスの多様な利用を紹介した教材の学校への配布といった取組が行われています。12月8日、9日には東京大学で国際ガラス年のクロージング・セレモニーが開催されます。ガラスに関する科学技術や芸術の専門家が世界各国から集まり、講演が行われ、私も、私自身館長を務める富山市ガラス美術館の設立など、「ガラスの街」としての取組を進める富山市について講演する予定です**。

日本において、ガラスの利用や製造は、いつ頃から始まったのでしょうか。

日本でガラスは2000年ほど前から使われ始めたと考えられています。日本で最も古いガラス製品の一つが、紀元1世紀頃の大規模遺跡である佐賀県吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)で発掘された79個の「管玉(くだたま)」と呼ばれる管状のガラスです。美しい青色をしたこのガラス製品は、高貴な人を埋葬していたとされる墓から副葬品として見つかりました。紐(ひも)で、それぞれの管玉をつなぎ合わせ、頭に被る王冠のように仕立てられていたと推測されています。世界で共通することですが、ガラスは最初、装身具として使われるようになります。ガラスを身に付けると、邪気が払われ、一層の力がもたらされると人々は信じていたのです。

佐賀県の吉野ヶ里遺跡で発掘された管状の青色のガラス「管玉(くだたま)」

ただ、この頃のガラス製品は中国大陸から運ばれてきたものか、中国大陸産の原材料を日本で加工したものと推測されています。日本国内で原料を集め、ガラス製品を加工することが始まったのは7世紀後半と考えられています。その頃の遺跡である奈良県飛鳥池遺跡(あすかいけいせき)からは、緑、黄緑、青など多彩なガラス玉、石英や鉛などの原料、ガラスを玉へと加工するための鋳型などの遺物が発見されています。こうしたガラス玉は仏像や仏殿の装飾品、鎮壇具(ちんだんぐ)***として使用されました。

しかし、平安時代(8世紀末〜12世紀末)が終わり、貴族に代わって武家が権力を握るようになると、理由ははっきりしませんが、日本でガラスがほとんど使われなくなります。これは私の推測ですが、割れやすいガラスは不吉なものという考えが武家にはあったのかもしれません。

日本で再びガラスが使われるようになったのは、いつ頃からでしょうか。

16世紀中頃、ポルトガルやスペインなどの国々との交流が始まると、ヨーロッパの様々な製品が日本にもたらされます。有力な大名への献上品の中には、当時の日本では見ることのできなかったガラス器も含まれていました。陶磁器や漆器とは異なり透明で、しかも芸術性の高いガラス製品との出会いは、日本でのガラス製作の機運を高めました。そして、17世紀初頭から約260年間続く江戸時代、日本のガラス製品は大きく進化します。17世紀の前半から中頃に長崎で吹きガラスが作られ始め、19世紀初めには、英国などヨーロッパのカットグラスを手本とした日本のカットグラスである「切子」が生まれたと考えられています。19世紀中頃には、紅色、藍色、紫色など多彩な薩摩切子(参照) が製造され始めました。

薩摩切子 三段重(九州国立博物館所蔵)(19世紀)(高さ12.4センチメートル、直径10.3センチメートル)

江戸時代の切子の大きな特徴は、その輝きと触感です。日本のガラスの原料の一つには鉛が使われていました。鉛の含まれたガラスは透明度、光の屈折率が高いのです。切子に光が当たると、プリズムのようにガラスの表面が七色に輝き、実に美しいです。私は学芸員でしたので、美術館の展示のために、ヨーロッパのカットグラスと日本の切子を直接、何度も手にしたことがあります。ヨーロッパのカットグラスは重厚感があり、表面の凹凸が手に食い込んで痛さを感じるものもあります。一方、日本の切子の手触りは優しいです。温もりさえ感じます。職人が入念に、そして、優しく磨き上げたことが伝わってきます。

日本が近代化する明治時代(1868〜1912年)以降、ガラスはどのように発展したでしょうか。

明治時代、日本が近代化するにつれ、ランプや瓶などの日用品の他に、板ガラスなど様々なガラス製品の需要が増加したため、明治政府は国策としてガラス産業の育成に取り組みました。特に板ガラスは西洋風の建築に不可欠であったため、その製造に力を入れました。政府はガラス製造所を設立し、ヨーロッパから技術者を招いています。そこで雇用された日本人の中には、かつての切子職人も多くいました。そして、1902年に日本で初めて国産の板ガラスの製造に成功。その後、ガラス産業は大きく発展し、日本の近代化を支えました。

20世紀になると、芸術表現の手段としてガラスを用いる人々が現れます。当初、その多くは、ガラス製造会社に籍を置くデザイナーや職人でしたが、20世紀半ば以降になると独立したアーティストとして活動する人も出始めました。その先駆者の一人が藤田喬平(ふじた きょうへい、1921〜2004年)です。藤田は東京美術学校(現在の東京藝術大学)で金工を学んだ後、ガラス製造所で働き始めますが、2年ほどで退職。その後、1964年に、熱く溶けたガラスが流動する形を表現した、彼の代表作の一つとなる「虹彩(こうさい)」を発表します。1973年には、彼のもう一つの代表作となる「飾筥(かざりばこ)」を発表、その後も藤田は生涯にわたって多くの飾筥を作りました。金箔をふんだんに用いた飾筥は、日本だけではなく海外でも人気を集めました。海外で飾筥の用途を聞かれた藤田が「夢を入れなさい」と答えたことから、海外では「フジタのドリームボックス」という名称でも呼ばれています。そして、2002年に藤田はガラス工芸家として初めて日本政府による文化勲章を受賞しました。

藤田喬平作「飾筥・醍醐(かざりばこ・だいご)」(富山市ガラス美術館所蔵)(2003年)(高さ19センチメートル、幅30センチメートル、奥行き26センチメートル)

近年、ガラスでどのようなアート作品が作られているのでしょうか。

かつてはガラスの彫刻が主流でしたが、2000年以降はガラスと、映像、音響、写真など様々なメディアとを組み合わせた作品が国内外で作られるようになっています。例えば、富山市ガラス美術館が2018年以降、3年に1回開催している国際公募展「富山ガラス大賞展」はそうした多様性を知る一つの機会になっています。2021年の公募展には世界51の国・地域から1126点の応募がありました。その中で大賞を受賞した作品が、佐々木類(ささき るい)さんの「植物の記憶」です。佐々木さんは、全国各地で採取した植物を2枚の板ガラスに挟み、炉で焼成して作品を作りました。ガラスの間で焼成された植物と灰が、LEDの光によって白く見え、まるで植物標本のように植物の細部が浮き上がります。透明であるガラスの特性を活かし、それぞれの土地の記憶を、植物を通じて残すというこれまでにない作品となっています。

様々な日本人アーティストが、独自の方法でガラスの魅力を表現した作品を作っており、国際的な注目も集めています。これからも、現代アートの中で、ガラスを使ったアート作品がどのような方向に進んでいるかを国内外に発信していきたいと思います。

* 無水炭水ナトリウム。ガラスの他、石鹸、染料などの原料として使用される。
** https://www.iyog2022.org/home/closing_ceremony_japan/
*** 鎮壇具は寺院を建てる前、地の神のために埋められる品物。