Skip to Content

December 2022

注射の痛みを軽減する注射針

  • 小児など皮膚が薄い人のために開発されたナノパスJr.。注射針は長さ3ミリメートルで外径は0.18ミリメートル。
  • ナノパス針の製造方法
  • ナノパスの注射針は先に行くほど細くなるテーパー構造をしている。
小児など皮膚が薄い人のために開発されたナノパスJr.。注射針は長さ3ミリメートルで外径は0.18ミリメートル。

日本の医療機器メーカーが、注射の痛みを大幅に軽減する注射針のシリーズを開発した。これらの注射針は、特に、インスリン注射を日常的に必要とする糖尿病を持つ人の治療負担の軽減に大きく貢献することができる。

ナノパス針の製造方法

注射器は病気の治療や予防になくてはならない医療用品の一つである。しかし、あのチクリとした痛みが嫌で、できれば打つのを避けたいと思う人がほとんどではないだろうか。そんな人々の気持ちに応えたのが、100年以上の歴史を持つ日本の医療機器メーカー、テルモ株式会社が開発したナノパス・シリーズというインスリンや成長ホルモンなどを注入するための注射針である。

「痛みが少ない注射針を作ろうと思ったのは、ある病院で小学生がインスリン注射を自分でしている姿を見たのがきっかけでした」と語るのはテルモのライフケアソリューション事業で開発技術部長を務める西川尚穂さんである。「1型糖尿病*は小児にも多い病気で、1日4~5回のインスリン注射が欠かせません。そんな人たちが抱く注射への恐怖心を少しでも減らせないかと考えたのです」

新たな注射針の開発が始まったのは2000年のことだった。西川さんたちが目指したのは、既存の製品より先端が20%も細い外径0.20ミリメートルの注射針。

ナノパスの注射針は先に行くほど細くなるテーパー構造をしている。

「人の皮膚表面には1平方センチ当たり100~200個の痛点が分布しています。そのため注射針が細ければ細いほど、痛点に触れて痛みを感じる確率は低くなります」と西川さんは言う。その一方で、針が細くなっても薬剤を注入する抵抗が大きくならないよう、注射針の内径と外径はともに先に行くほど細くなる構造にしなければならない。また、針が刺さる瞬間の痛みを低減するため、注射針の先端を非対称刃面構造(アシンメトリーエッジ)にして、皮膚の表面に「突き刺す」のではなく「小さく切る」ことができる形状を目指した。

「社内で注射針製造チームに相談し、100社もの関連企業と面談しましたが、そんな注射針は作れないと誰もが首を横に振るばかりだったのです」と西川さんは当時の苦境を振り返る。そんな状況の中で開発の成功への足がかりとなったのは、「金型(かながた)の魔術師」の異名を持つ職人、岡野雅行(おかの まさゆき)さんとの出会いだった。東京の下町で岡野さんが営む工場は、従業員わずか6名(当時)ながら、NASAなどからの注文も受ける世界最高レベルのプレス加工技術を有していた。西川さんから糖尿病の子どもたちの苦労を聞いた岡野さんは、未知の領域への挑戦に一緒に取り組むことにしたという。

世界で最も細い注射針を生産するため、金型から極薄の金属板を抜いて段階的に曲げてパイプ状にする独自の手法が確立できたのは、開発がスタートして約1年半後のことだった。さらに、安定した品質で大量生産を行うための試行錯誤は、それから1年あまりも続いた。

そうして、2005年に最初の製品であるナノパス33の発売が実現した。その後も、研究開発は続き、2012年には外径を0.18ミリメートルにまで細くしたナノパス34、2019年には同じ外径(34G。Gはゲージの意)で針の長さを3ミリメートルにまで短縮したナノパスJr.が発売になった。ナノパスJr.は小児など皮膚が薄い人のために開発した製品である。テルモの調査(2017年5月)によると、34Gは「世界で最も細いダブルテーパー針**」である。この痛みを低減する技術の追求が評価され、2021年度の全国発明表彰では「文部科学大臣賞」と「発明実施功績賞」を受賞した。

「糖尿病の子どもたちが集まるサマーキャンプで、ナノパスを使って注射を打つ練習をしていた小さな女の子から『これなら全然痛くないよ』と言われた時は、本当に嬉しくて喜びを隠せませんでした」と西川さんは語る。

1日に複数回のインスリン注射を必要とする糖尿病を持つ人は、日本国内だけでも約100万人いると推計される。従来にない発想と技術が生んだ痛みが少ない注射針は、これから、日本のみならず世界の糖尿病を持つ人の治療負担の軽減に大きく貢献していくに違いない。

注射針の先端を非対称にすることで、刺す時の痛みを軽減する。
  • * 膵臓のインスリンを出す細胞(β細胞)が壊されてしまう病気(Type 1 diabetes)
  • ** 内径と外径がともに先に行くほど細くなる。