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January 2023

北斎の描いた富士山

  • 冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 (葛飾北斎作)(すみだ北斎美術館所蔵)
  • 冨嶽三十六景 凱風快晴 (葛飾北斎作)(すみだ北斎美術館所蔵)
  • 『富嶽百景』二編 登龍の不二 (葛飾北斎作)(すみだ北斎美術館所蔵)
  • 冨嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図 (葛飾北斎作)(すみだ北斎美術館所蔵)
冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 (葛飾北斎作)(すみだ北斎美術館所蔵)

日本美術の中で、世界的に最も有名な作品は葛飾北斎(1760~1849年)の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏(ふがくさんじゅうろっけい かながわおきなみうら)」で間違いないだろう。北斎は富士山を好み、しばしば作品のモチーフとしていた。

冨嶽三十六景 凱風快晴 (葛飾北斎作)(すみだ北斎美術館所蔵)

葛飾北斎は富士山を題材にした浮世絵*で世界的にその名を知られている。富士山を描いた最も有名な作品群は、彼が70代で制作した「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」シリーズである。北斎は、様々な風景の一部として富士山の姿を印象的に描き出したこのシリーズを、1831年頃に発表した。現代の連載漫画と同じように、人気が出なければ途中で打ち切られることもありえたので、“三十六景”シリーズと称しながらも、北斎が最終的に四十六景を描いたことから、同シリーズは当時、非常に人気があったと推測できる。出版当時、富士講**という山岳信仰が庶民の間で人気だったことも関係するが、作品の成功の主な理由は北斎の圧倒的な人気と芸術家としての技量であったのは間違いない。

「自身70歳を越えて、絵師としての実績や自信もある中で、北斎は“己の富士山”を発表したいという意欲で様々な構図にチャレンジしたのではないでしょうか。これが当時ヒットした理由であり、今もなお愛され続けている理由だと考えています」とすみだ北斎美術館***・主任学芸員の奥田敦子さんは話す。すみだ北斎美術館は、北斎が生まれ、ほぼ生涯にわたって過ごし、多くの名作を生み出した現在の東京都墨田区にある。

『富嶽百景』二編 登龍の不二 (葛飾北斎作)(すみだ北斎美術館所蔵)

「冨嶽三十六景」の中でも特に著名であり、「Great Wave」として人々に知られる「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」は、巨大な浪とそれに翻弄される小舟の向こうに静かに佇む富士山が描かれ、世界中で名画と考えられている。

冨嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図 (葛飾北斎作)(すみだ北斎美術館所蔵)

奥田さんは神奈川沖浪裏について、「富士山は風景の中で小さく描かれていますが、迫力のある大浪の動きと山の静かにたたずむ姿との対比が見事に捉えられています。小さく見えても、富士山は風景の中で脇役ではない。絶妙な構図です」と言う。

北斎は「冨嶽三十六景」の後に、さらに、3編から成る絵本『富嶽百景』(全102図)も発表しており、富士山が彼にとって特別な存在であったことが窺(うかが)える。場所、季節、天候、時間を含めた様々な見え方になる富士を描写したいという強い思いを北斎は持っていた。富士山を、人気のモチーフ、創作の源にしているのは、こうした可能性の広さなのかもしれない。