Skip to Content

March 2023

京都で伝承された象嵌(ぞうがん)技術

  • 駒井音次郎作「名所図小箪笥(めいしょず こだんす)」(高さ13.8センチメートル)撮影者:木村羊一
  • 真鍮(しんちゅう)の生活雑貨。底部の鍔(つば)に施された京象嵌の意匠を映し出す鏡面仕上げ。左から、ペンスタンド、ブックエンド、ペーパーウェイト、プランターカバー、一輪挿し。
  • 作業場での京象嵌職人
  • 京象嵌のジュエリー
  • 身に着けた幾何学模様の京象嵌ジュエリー
駒井音次郎作「名所図小箪笥(めいしょず こだんす)」(高さ13.8センチメートル)撮影者:木村羊一

漆の漆黒と、純金の輝き、そして銀の光沢との精緻なコントラストが美しい「京象嵌」を紹介する。

真鍮(しんちゅう)の生活雑貨。底部の鍔(つば)に施された京象嵌の意匠を映し出す鏡面仕上げ。左から、ペンスタンド、ブックエンド、ペーパーウェイト、プランターカバー、一輪挿し。

象嵌(ぞうがん)は、世界的には、最も古い工芸装飾の一つで、地となる金属や木材などの表面を彫り、そこに金、銀、貝といった、地とは異なる色や種類の金属や木などをはめ込んで模様を表す技法だ。金属を主に材料とする金工象嵌は、日本にはシルクロードを経て、6世紀~7世紀頃、仏教とともに大陸からもたらされたと言われる。

日本の金工象嵌の独自性は、地金に漆を用いるところにある。京都美術象嵌組合の理事長、建部一雄(たてべ かずお)さんは「日本は湿度の高い気候ですから、金属を錆から守る工夫のために漆を用いました。そのため、日本の金工象嵌は堅牢(けんろう)で、100年、200年と年月を経ても、金銀の輝きの美しさが保たれます」と話す。

作業場での京象嵌職人

日本の金工象嵌は、いくつかの地方*の伝統工芸品となっているが、特に京都の「京象嵌」の歴史は諸説あって明らかではないが、千年以上さかのぼれるとも言われる。「京象嵌」はその技法から「布目象嵌(ぬのめぞうがん)」とも呼ばれ、繊細さと優美さで名高い。布目象嵌が盛んになったのは江戸時代(17世紀初頭~19世紀後半半ば)の末頃とされる。

布目象嵌は、まず、地金となる鉄、およそ1ミリメートル四方に7~8本の溝を布目状に縦横に彫る。微細な溝が布の織り目のように見えることから、「布目象嵌」の名の由来になった。この溝に、直径1ミリメートル以下の純金、純銀の線や平金を打ち込んで模様を描いていく。金銀を嵌め込んだ後は、いったん腐食させて布目を消してからタンニンを塗って錆止めを施し、その上に漆を3~4回塗って定着させる(焼き付け)。そこから、漆の表面を徐々に削って模様を浮かび上がらせ(研ぎだし)、さらに模様に細かく線を入れるなどして仕上げる。こうした、緻密で複雑な工程をすべて1人の職人が担う。

京象嵌のジュエリー

「京象嵌は、草花や季節の風物、風景などを題材にすることが好まれてきました。これは京都に優れた日本画の絵師が集まっていて、象嵌の下絵も手掛けていたことが関係していると思います」と建部さんは話す。

言わば、下絵から写実的な表現を追求したからこそ、京象嵌は細工の陰影や質感など、一層、繊細に研ぎ澄まされたものになった。

身に着けた幾何学模様の京象嵌ジュエリー

1878年、こうした技術の粋を集めた京象嵌が、パリ万国博覧会に出展されると、ヨーロッパで高い評価を受けることとなった。なかでも、駒井音次郎(こまい おとじろう。1842〜1917年)の作品は人気が高く、そのほとんどが海外へ輸出された。

現在、京象嵌は、ペンダントやネクタイピンなどの装身具、小物入れ、額絵などの室内装飾品が主な製品になっている。

「京都には、伝統工芸の科を置く大学がいくつかあり、そこで象嵌の技術も伝承しています。若手の中には、独創的な作品を制作している作家もいますから、今後が楽しみです」と建部さんは話す。

* 「京象嵌」のほか、熊本の「肥後象嵌(ひごぞうがん)」、石川の「加賀象嵌」が有名である。