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Highlighting JAPAN

たこ焼き:愛の共有

大阪名物のたこ焼きは、今や日本中で人気の軽食である。

大阪最大の自慢について質問したある調査では、日本有数の歴史的建造物である大阪城に次いでたこ焼きが2位だった。

大阪にとって自慢のたこ焼きだが、その慎ましい食べ物が住民の間で高い評価を得ていることは、おそらく驚くには当たらないだろう。

たこの団子(「octopus dumplings」)と訳されることの多いたこ焼きは、卵ケースのような鉄板で生地をゴルフボールサイズの球状に焼いたもので、真ん中にぶつ切りにしたたこが入っている。どこか大阪人の型破りな遊び心を象徴しているようにも思える。

フードマーケティングデザイナーであり、自称「タコヤキスト」である熊谷真菜さんは、著書『たこやきのナゾ』で「たこ焼きは大阪を代表するものであり、大阪の人は家でも外でもたこ焼きを食べることを自慢しています」と述べている。

近年たこ焼きは全国にファンを広げているが、大阪と関西地方(京都や神戸など、その他の大都市を含む)では、たこ焼きは単なる食べ物ではなく、文化や伝統、芸術、笑いに欠かせない存在であると、彼女は別の著書『たこやきの正しい食べ方』で付け加えている。

(特に箸で食べることにこだわっている人や猫舌の人にとっては)たこ焼きを食べるのはやや勇気を要するものであるが、作り方は比較的単純である。

まずは約220℃に鉄板を温め、シェービングブラシのような道具で油を引いた鉄板に、卵、小麦粉、鰹出汁で作った生地を流し込む。

鉄板に無数に開いた半球状のくぼみに茹でたたことその他の具(紅しょうがやネギが最も一般的)を加え、数分経ったら、千枚通しのような2本の道具を使い、一つずつ手際よく回転させる。

仕上げにコクのあるソースをたっぷりとかける。ソースの上には青海苔と鰹節を散らし、またマヨネーズをかけるのが一般的とされている。

たこ焼きが日本料理に加わったのは、比較的最近のことである。最初は1950年代に関西で人気となった。たこ焼きは当時、3時のおやつと考えられ、ミシュランを獲得しているたこ焼き店がいくつかあるにもかかわらず、現在もおやつという認識はほぼ変わらない。

しかし、そのルーツはさらに昔に遡る。たこ焼きのもとになった玉子焼きは、(発祥の地である関西の明石市にちなんで)「明石焼き」とも呼ばれ、明治時代から存在していた。玉子焼きもたこ焼きと同じように生地にたこが入っているが、たこ焼きのソースよりもかなり薄い出汁を使った漬け汁で食べる。

それが後に変化したものとしては、「ちょぼ焼き」という面白い名前のたこ焼きや、トランジスタラジオの外側のくぼみに似ていることから「ラジオ焼き」と名付けられたものがある。 たこ焼きの人気は、それを提供するお店の多さにもうかがえる。2014年の政府の統計によれば、たこ焼きとたこ焼きに似たお好み焼き(参照)を提供する正式登録店舗は、全国で16,551店である。

日本最大で人気ナンバーワンのたこ焼きチェーン「築地銀だこ」を展開する株式会社ホットランドの広報室の担当者によると、実際、首都東京でたこ焼きが食べられ始めたのは、わずか数十年前だと言う。銀だこの自慢は、特製の出汁と真蛸のような高品質な具材のみを使っている点である。

「東京の人にとって、たこ焼きは夏の縁日などでしか見ない、少し目新しいものでした。しかし、今やたこ焼きは日本中のあらゆる世代に人気です」世界最大の魚市場である築地の向かいという便利な場所にある銀だこの旗艦店の外で、広報担当者は話す。

築地本店の中では、保護ガラスの窓の向こうで調理スタッフが新しいたこ焼きを次々と準備している。客や通行人に調理作業が見えるよう、たこ焼き店には一般的にガラス窓が設けられている。全ての調理スタッフは、たこ焼きを鉄板上で回せるようになる前に様々なトレーニングを受ける。

「タイマーなどは使いませんが、焼き時間が重要です。外をパリッと、中を柔らかくトロっとさせるのが、ポイントです」あるスタッフは一列に並んだたこ焼きを巧みに回転させながら話す。中には、天つゆやテリヤキソースなど、他の具やソースを使ったたこ焼きもある。

ガラスの逆側からのぞくと、学生たちが列をなし、一人前のたこ焼きをシェアしながら勢いよく食べている姿も見られる。「たこ焼きのカリッとした外側とふわっとした内側の2つの硬さを味わえるのが好きです。独りで食べるのではなく、シェアして食べるというたこ焼き文化も良いと思います」とある大学生は話す。

たこ焼きの魅力を広げるためにホットランドは既存の店舗の他に「銀だこカー」という移動式屋台で全国を訪れ、熱々のたこ焼きを提供する社会貢献活動を行っている。銀だこカーは、定期的にイベント、保育園、老人ホームを訪問し、避難所にも訪れている。同社は2011年の東日本大震災を受け、雇用や地域への納税を通じて復興に貢献したいと考え、2011年から約3年間、本社を被災地の宮城県石巻市に移した。

大阪の代表的な食べ物であるたこ焼きは今や、辛い時期でさえ、日本中の人々に幸せをもたらしている。