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Highlighting JAPAN

バレリーナが伝える平和へのメッセージ

バレエ界のレジェンド、森下洋子さんと清水哲太郎さんは、平和への想いを胸に、踊り、教え続ける。

東京都心にある松山バレエ団。繊細な装飾が施されたカラフルな衣装に身を包んだ踊り手たちが、スタジオの鏡に映し出される。彼らは見事なタイミングで、熱狂的な音楽に素早く反応し、体が描く優雅なアーチが調和してきらめく波となり、手足は羽のように軽やかに躍動する。そして、22名のバレリーナが織りなす、生きた芸術作品となる。

その中央に登場した森下洋子さんがシュール・ラ・ポワント (爪先立ち) で滑るように動く中、バレエ団の総代表であり、全ての演出、振付を担う清水哲太郎さんはバレリーナの間を移動しながら、素人目には見分けられないような細かい位置や姿勢の調整を行っていく。

森下さんと公私ともにパートナーである清水さんは、日本バレエ界を代表する人物である。1970年代から1980年代にかけて、2人は多くの観客を沸かせ、森下さんの感情豊かな表現はバレエ大国であるヨーロッパ各国でも喝采を浴びた。彼女は権威あるブルガリアのヴァルナ国際バレエコンクールでも金賞を受賞。日本人がヨーロッパの主要コンクールで優勝したのは初めてだった。

彼女はその後、国際舞台で認められた初の日本人バレリーナとなり、「世界のプリマバレリーナ」や「東洋の真珠」と称された。

彼女がブルガリアで成功を収めたのは1974年、25歳の時であった。両親が体の弱い娘が丈夫になるようにと3歳からバレエ教室に通わせ始めてから22年後のことである。

当時の日本のバレエ環境は今とは全く異なっていましたと話す森下さんは、清水さんと共に運営する活気ある松山バレエ団でプリマバレリーナとして技術を磨き続けている。

「私たちの先輩方は、簡単に何でも手に入る今とは全く違い、元になる楽譜しかなく、とても苦労したようです」と日本人が初めて『白鳥の湖』を踊ってからわずか2年後に広島で生まれた森下さんは語る。

「しかし、先輩方はそうした状況を真摯に受け止め、豊かな感性を持って綿密に学び、手を加え、受け継いできました。これは日本人の強みだと思います」

そして、ついには、非常に高い技術を持ちながら、何世紀も続くルールや作法、格式に必ずしも縛られないバレエが生まれたと清水さんは話す。「日本でバレエが盛んになったのは、それが理由だと思います」

バレエは15世紀にルネサンス期イタリアの宮廷で生まれたが、日本に伝わったのは1900年代になってからだった。その後、東京の帝国劇場のオペラ部門が、主に当時の社会・政治不安から逃れてきたロシアのアーティストを講師に迎え、教室を開いた。

しかし、バレエが広く鑑賞されるようになったのは第二次世界大戦後のことである。次々に教室が開かれ、森下さんが11歳で両親を説得し東京のバレエ学校で学ぶために上京の許しを得た頃、東京ではバレエが盛んになり始めていた。

戦後いち早く開かれたのが松山バレエ団である。清水さんの父親の正夫さんと、有名なバレリーナである松山樹子さんによって1948年に設立された。森下さんは松山樹子さんの踊りに感銘を受けて松山バレエ団に入団した。

日本バレエ団連盟によれば、日本には現在、約4,500校のバレエ学校があり、40万人以上の生徒が在籍している。この数字から日本が圧倒的な「バレエ大国」であることが分かると清水さんは言う。

また、この数字は国際舞台で成功を収める日本人の増加にも反映している。ルドルフ・ヌレエフやマーゴ・フォンテインといったバレエ界の重鎮たちと共演していた1970年代、森下さんと清水さんはその道を切り開いてきた先駆者だが、現在は世界の多くのバレエ団に日本人が所属している。

例えば、ロンドンのロイヤルバレエ団とポーランド国立バレエ団では日本人女性がプリンシパルを務めている。

また、世界中のコンテストで表彰台に立つ日本人バレリーナも多い。権威あるローザンヌ国際バレエコンクールでは、2012年に21人のファイナリストのうち日本人が5人を占めた。

ローレンス・オリヴィエ賞(1985年)を始め、数々の栄誉に輝いてきた森下洋子さんは、この2012年に、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞している。

森下さんは東京で行われた授賞式の後、「派手な」踊りだけでは決して成功は保障されない、そして、バレリーナは「希望と夢、勇気」を観客に与えていくことを目指して踊っているとコメントした。

「バレリーナは舞台で、技術や芸だけを披露するのではありません」と今でも毎日6時間はリハーサルを行う森下さんは語る。「世界には今も争いがあります。私たちは平和へのメッセージを胸に踊るのです。バレエは国際的な平和の芸術なのです」

彼女はバレエが平和の共通語になることを夢見ている。