January 2023
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三保松原:様々な芸術作品の源泉
海岸越しの三保松原と後方の富士山 天女が羽衣を掛けたとされる「羽衣の松(三代目)」
歌川広重作『六十余州名所図会 駿河 三保のまつ原』(国会図書館所蔵) 静岡市三保松原文化創造センター「みほしるべ」 櫻間右陣(さくらま うじん)による能『羽衣』で演じられる天女

松林と海、そして富士山が織りなす、静岡県の三保松原(みほのまつばら)の美しい景色は、様々な芸術作品のインスピレーションの源となってきた。

三保松原は、静岡県の三保半島の太平洋に面した海岸沿いに約5キロメートルにわたって推定約3万本のマツが茂る松林で、世界遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つである。
マツは冬でも緑を絶やさないことから、日本では古くから神の宿る木とされてきた。三保松原はマツが多く茂っている場所であり、古来より神仏が住むとされてきた富士山の雄大な姿を望むことができることから、神聖なる地とされてきた。
「砂浜から、富士山を背景に松林が広がる景色を見ることができます。このような景観に触発され、詩歌、絵画など数々の芸術作品がつくられてきました」と静岡市三保松原文化創造センター「みほしるべ」の小林美沙子さんは話す。「三保松原は富士山山頂からは、約45キロメートル離れています。しかし、二つは日本の人々の心の中で深く結びついているのです」
三保松原をモチーフにした最も古い芸術作品の一つは、8世紀中頃に編纂された日本最古の歌集である万葉集に収られている和歌*と考えられている。詩歌以外にも、富士山と海岸沿いの松林という組み合わせで数多くの絵画も描かれている。中でも、歌川広重(1797〜1858年)などによる浮世絵の作品は特に有名である。

14世紀に成立した古典芸能の能**の人気演目で、「羽衣伝説」をベースにした『羽衣(はごろも)』は、三保松原を舞台にした作品である(囲み記事参照)。日本各地に古くから伝わっている「羽衣伝説」は、羽衣をまとった天女が、天上界から下りてくるという話である。能の『羽衣』の作者は、三保松原の美しく神聖な風景があったからこそ、その舞台に選んだと考えられている。
三保松原では、今でも、羽衣伝説が息づいている。例えば、三保松原にある御穂神社(みほじんじゃ)は、羽衣の切れ端と言われる布を所蔵している。また、御穂神社から砂浜まで、海の彼方から来訪する神が通ると言われる「神の道」が、約500メートルにわたり真っ直ぐ伸びている。「神の道」は樹齢200年から300年と推定されるマツの木々に囲まれており、砂浜に立つ約15メートルの高さの大きな「羽衣の松」は神々が降臨する時の目印と言われている。
羽衣の松の近くには、前述の「みほしるべ」があり、三保松原に関する文化や歴史、保全の大切さを学べる。そこでは、三保松原と富士山を紹介した美しい映像や、絵画や工芸品のほか、マツの根の標本などの展示品を見ることができる。また、屋上からは松林越しに富士山がはっきりと眺められる。
「『青富士』と呼ばれる雪のない富士山も私は好きですが、やはり1月から3月にかけて、山頂に雪が積もった富士山の姿は本当に素晴らしいです」と小林さんは言う。「日本人が古くから愛し、様々な芸術作品の源泉となった三保松原の歴史とその美しさを、ここで多くの人に知っていただきたいです」
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* 万葉集 三巻 296 田口益人(たぐちのますひと)作の「廬原(いほはら)の清見の崎の三保の浦のゆたけき見つつ物思ひもなし」を指す。(大意は、三保の浦の豊かな海を見ていると任地への赴任の旅の不安さも失せてしまう)。
和歌については、Highlighting Japan 2021年6月号「歌会始の儀」参照 https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202106/202106_09_jp.html - ** Highlighting Japan 2021年12月号「国を越えて伝わる能の姿」参照 https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202112/202112_12_jp.html
能の演目『羽衣(はごろも)』のあらすじ


漁師の白龍(はくりょう)が三保松原でマツの枝に掛かった羽衣を見つけ、持ち帰ろうとした。すると、天女が現れ、羽衣を返してくれるよう頼んだ。白龍が天女の願いを断ると、天女は泣きながら、その羽衣がないと天に帰れないと嘆いた。天女を哀れと思った白龍は舞を舞うことを条件に、羽衣を返すことにする。天女は羽衣をまとって舞を舞うと、富士山を超えて天高く舞い上がり、天上の世界へと消えていった。