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January 2023

富士山:信仰の対象と芸術の源泉

  • 稲葉信子・筑波大学名誉教授
  • 静岡県富士宮市の富士山本宮浅間大社
  • 静岡県富士宮市の白糸ノ滝越しに眺める富士山
  • 御師の住宅である山梨県富士吉田市の御師外川家住宅(おしとがわけじゅうたく)
  • 歌川広重作『東海道五拾三次之内・由井 薩埵嶺(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち ゆい さったみね)』(東京国立博物館所蔵)
  • 富士山と三保松原(参照)をモチーフにした大正時代(1912〜1926年)の着物(東京国立博物館所蔵)
  • 静岡県富士宮市の静岡県富士山世界遺産センターの展望ホールからの眺め
  • 富士山の麓にある吉田口登山道の「馬返し」
稲葉信子・筑波大学名誉教授

2013年6月、富士山(標高3776メートル)は「富士山 ―信仰の対象と芸術の源泉」の名称のもと、世界遺産に登録された。筑波大学名誉教授で富士山世界文化遺産学術委員会の委員を務める稲葉信子さんに、神聖な山である富士山、そして、それに触発された芸術や世界遺産としての価値について、話を伺った。

静岡県富士宮市の富士山本宮浅間大社

富士山はどのように「信仰の対象」となったのでしょうか。

富士山は、8世紀から9世紀にかけて噴火を繰り返しました。人々はそれを、火を吹く山の神「浅間大神(あさまのおおかみ)」の怒りの表れであると畏(おそ)れたのです。やがて、浅間大神の怒りを鎮めるため、山麓から富士山を拝むという信仰の形が人々の間で生まれました。この頃に、富士山本宮浅間大社*(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ。静岡県富士宮市)や河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ。山梨県富士河口湖町)など、浅間大神を祀る神社が現在の地に建てられたと伝わっています。

11世紀に富士山の火山活動が休止すると、富士山を拝むために登るという信仰の形が生まれます。そして、山を崇拝する山岳信仰と仏教などの宗教が習合した「修験道(しゅげんどう)」の修験者が修行の地として富士山に登るようになります。その後、信仰のための登山が一般の人の間でも行われるようになり、須走口(すばしりぐち)登山道や吉田口登山道などの登山道が整備されていきます。

17世紀以降、長谷川角行(はせがわ かくぎょう。1541〜1646年)を開祖とする「富士講(ふじこう)」という富士山を崇拝する信仰が関東地方で広がります。信者は地域ごとに集まり、集団で角行が修行をした富士五湖(参照)、忍野八海(参照)、白糸ノ滝**などの聖地を巡礼して、富士山山頂を目指しました。登山口では、御師(おし)と呼ばれる人が、信者への宿泊や食事の提供、祈祷、登山準備の支援などを行いました。

静岡県富士宮市の白糸ノ滝越しに眺める富士山
御師の住宅である山梨県富士吉田市の御師外川家住宅(おしとがわけじゅうたく)

今お話しました、神社、登山道、湖、池、滝、そして御師の住宅などは、世界遺産である富士山の構成資産となっています。

富士山は「芸術の源泉」として、どのような芸術作品の題材となったでしょうか。

富士山は詩歌、小説、演劇、絵画など様々な芸術作品の題材となっています。漆器、陶磁器、家具などの工芸品や着物など、様々なもののモチーフとしても富士山が用いられてきました。富士山は、日本人にとってそれだけ身近な存在なのです。

富士山を描いた絵画や工芸品は海外にも輸出されました。特に有名なのが葛飾北斎(参照)や歌川広重(うたがわ ひろしげ)(参照)などの絵師による浮世絵です。こうした浮世絵は海外、特にヨーロッパの芸術に影響を与えました。例えば、オランダ出身の画家のフィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890年)の『タンギー爺さん』という作品には、背景に多くの浮世絵が描かれています。その一つには広重の富士山をモデルにしたと考えられる浮世絵もあります。また、フランス出身の作曲家のクロード・ドビュッシー(1862〜1918年)は、自分の部屋に北斎の『冨嶽三十六景』の1つである「神奈川沖浪裏」を飾っていました。また、交響詩『海』の楽譜初版本の表紙には、彼の希望により、「神奈川沖浪裏」をモチーフにした波が描かれています。この頃から、富士山は日本を象徴するイメージとして海外で定着していったと言えます。

歌川広重作『東海道五拾三次之内・由井 薩埵嶺(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち ゆい さったみね)』(東京国立博物館所蔵)
富士山と三保松原(参照)をモチーフにした大正時代(1912〜1926年)の着物(東京国立博物館所蔵)

富士山の世界遺産としての価値はどのような点にあるでしょうか。

世界遺産は、1972年のユネスコ総会で採択された、顕著な普遍的価値を有する文化財、自然財を守るための「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づいて、世界遺産委員会が選びます。世界遺産には、記念物、建造物群、遺跡、景観などを対象とする「文化遺産」、地形、地質、生態系などを対象とする「自然遺産」、そして「文化遺産」と「自然遺産」の両方の価値を兼ね備えている「複合遺産」があります。富士山は文化遺産として登録されています。富士山が文化遺産として登録されたのは、富士山は自然の存在でありながら、これまでお話してきたように、日本のみならず世界の文化に大きな影響を与えてきた存在だからです。

富士山のように美しい山や信仰の対象になっている山は世界中にたくさんあります。しかし、富士山のように、美しい姿をしているだけではなく、信仰の対象であり、芸術の源泉になっている山は、世界にはほとんどありません。

かつて世界遺産委員会は、自然遺産と文化遺産の評価基準を分けていました。しかし、2005年に改訂され、二つの基準は統合されました。これは、公園、棚田、文化的景観など、人と自然が強く結びついた存在にも、世界遺産としての価値を認めるという考えに基づいています。まさしく富士山は、自然遺産と文化遺産の境界領域にある世界遺産のモデルとして世界的に大きな価値があるのです。

富士山が世界遺産となってからこの10年、どのような変化があったでしょうか。

1990年代半ばから、政府、静岡県と山梨県の自治体、企業、市民が協力して、富士山の世界遺産登録に向けた運動を始めました。それ以来、現在に至るまで、富士山に関わる環境や景観の保護が前進したと言えます。例えば、富士山の登山道には、環境配慮型のトイレが設置されました。また、山梨県は富士山の景観を守るための条例を制定し、指定地域では景観に配慮した建物の建設を求めるようになりました。その他にも景観を損ねていた構造物の移転や建て替えが行われています。

今後の課題は、富士山において、持続的な観光をいかに実現するかです。富士山やその周辺地域には一年を通して、多くの観光客が訪れます。特に夏は、国内外から多くの人が短期間に集中して登山します。これをどのようにコントロールするかは重要な課題です。また、富士山を訪れる人に富士山の文化的な価値を伝えていくことも大切です。

海外から来日される外国の方々に、富士山の魅力が感じられる、稲葉先生おすすめの場所をご紹介いただけますでしょうか。

富士山は山頂まで登らなくても、雄大な景色を楽しめる場所がたくさんあります。富士山の全景を見るなら岡田紅陽(参照)の写真で知られる本栖湖(もとすこ)に行くのが良いでしょう。静岡県富士宮市の静岡県富士山世界遺産センターの展望ホールから眺める富士山も素晴らしいです。

静岡県富士宮市の静岡県富士山世界遺産センターの展望ホールからの眺め

吉田口登山道を、標高1450メートルに位置する「馬返(うまがえ)し」から標高約2300メートルの五合目まで歩くのもおすすめです。「馬返し」とは「馬を返す」という意味です。登山道が険しくなり、乗ってきた馬を返して、ここから上は徒歩で登るという地点です。吉田口登山道は富士講の信者も登っていた歴史ある登山道です。馬返しから五合目までは約3時間半かかりますが、森の中を通る登山道を歩くのはとても気持ちが良いです。

富士山の麓にある吉田口登山道の「馬返し」

国内外の多くの人に、富士山の美しい姿と合わせて、その歴史や文化も知っていただきたいです。