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March 2023

奈良・興福寺で仏陀の智慧を伝える

  • 興福寺でのザイレ暁映さん
  • 再建され、2018年に完成した興福寺の中金堂
  • 興福寺の五重塔の側に立つザイレさん
  • 仏教の創始者である、仏陀としても知られるゴータマ・シッダールタの像
興福寺でのザイレ暁映さん

ザイレ暁映(ぎょうえい)さんは奈良・興福寺の僧侶である。ドイツ出身のザイレさんは今、宗教儀式と寺の運営に時間を取りながら、仏教について理解していることを外国人と日本人の訪問者に伝えている。

興福寺の五重塔の側に立つザイレさん

奈良県奈良市は、8世紀初頭に日本の首都として誕生した*。1998年、奈良市の核を構成する社寺とかつての宮城跡が、「古都奈良の文化財」としてユネスコの世界遺産に登録された。創建が669年と伝えられる由緒ある興福寺はその構成遺産の一つである。

ザイレ暁映さんは興福寺の僧侶である。気取らずに身にまとう袈裟(けさ)の装いがかもし出す凛(りん)とした佇(たたず)まいと優しい笑みをたたえる表情が、僧としてここで修業を積んだ年月を感じさせる。

ドイツのハンブルク生まれのザイレさんは、少年期にアメリカに移住、そこで進学した高校にたまたま日本語の授業があった。興味を惹かれ、日本語を勉強し始め、それがきっかけで日本文化と東洋文化への興味を持った。その後進学したカリフォルニア大学バークレー校では、日本の古典文学を専攻した。

「もともと、仏教が日本文化の発展に与えた影響を理解するために仏教の研究を始めました。その後、「南都仏教」と言われるものに興味を持つようになったのは、南都仏教がこれまで西洋の研究者によってほとんど無視されてきたからです」とザイレさんは話す。

再建され、2018年に完成した興福寺の中金堂

南都仏教は奈良仏教とも言い、7世紀から8世紀にかけて日本に伝わり、以来、奈良の寺で伝えられている教義の一群を指す。日本の首都として栄華を極めた奈良には、国内外から多くの学僧が集まり、仏教の国際的な一大中心地となった。8世紀末、40キロメートルほど北の京都へ遷都してから奈良周辺を「南都」と呼ぶようになり、奈良を拠点とする仏教学派を「南都仏教」と総称するようになって今日に至る。

カリフォルニア大学バークレー校を卒業後、大阪外国語大学(当時)で仏教文学の修士号を取得した後、バークレー校に戻り、仏教学の博士課程に進学した。コースワークを終えると、京都の仏教系の大学である龍谷大学(りゅうこくだいがく)の客員研究員として日本に戻り、学位論文のための研究を行った。龍谷を拠点としながらも自身が専門とする仏教の宗派の本山に近い場所である奈良を選んで住んだ。この宗派は「法相宗」と呼ばれ、奈良仏教に最初からある宗派の一つであり、現在の日本では最も古い仏教宗派だ。研究の過程で、ザイレさんは法相宗の二大本山である興福寺と薬師寺に通い、掃除など日々の雑務である「作務(さむ)」や、寺で行われる多くの儀式の準備を手伝うようになった。

転機が訪れたのは2011年の秋、興福寺のある僧侶から「竪義(りゅうぎ)を受けるために籠るので、童子(どうじ)になってほしい」と頼まれた時だ。「竪義」とは、「解釈(義)を竪(た)てる」ということで、現代の学問における博士号取得のための試験に近く、教義に関する口頭討論の形式をとった試験のことである。法相宗の僧侶にとっては一生に一度しか受けることのできないもので、合格すると興福寺の住職、あるいは法相宗の長にもなれる資格を得る。この活動で最も重要な役割の一つを「童子」が果たす。童子は竪義を受けるために籠っている受者の日常生活の世話をするだけでなく、試験を構成する様々な討論の練習を一緒にする。童子になるためには俗世を離れ、出家しなければならない。ザイレさんは提案を慎重に考えたすえに、引き受けることにし、以来、興福寺の僧を務めている。

竪義の準備として、「受者は準備のための修行に入り、1日24時間勉強することが求められます。眠ってしまわないように、横にもなれず、足も伸ばせない狭い空間に閉じ込められます。そして3週間、この空間で本数冊分の中国伝来の仏教古典の文章を暗記します。これに続くのが実際の試験で、2時間程度で終了します」とザイレさんは説明する。古文書読解の経験が豊富な法相宗の専門家として、ザイレさんは見事に童子としての役割を果たした。

仏教の創始者である、仏陀としても知られるゴータマ・シッダールタの像

2019年、ザイレさん自身もこの過酷な修行に挑む機会を与えられ、1000年の歴史の中で初めて外国出身の僧侶として竪義の試験に合格した。法相宗では、竪義は毎年行われるものではなく、僧が候補者になる資格を得た時にのみ行われる。それゆえ、再び竪義が行われるまでに長い年月がかかることもある。受験時、ザイレさんは41歳、興福寺の僧になって8年目だった。

竪義を完遂して以降、ザイレさんは僧侶として修行を続けながら、寺の運営者としての役割も担っている。興福寺での主な役割は、日本語、英語、時にはドイツ語で寺を案内することである。また、法相宗の教義に関する話や講義を頻繁に行い、仏教の教えについて自身が得た見識を一般の人々に伝え続けている。

法相宗の基本的な教義は、「唯識」として知られている。この教えによれば、私たちが経験する現実は、私たちの外や私たちから離れて存在しているのではなく、むしろ私たち自身の心が作り出したものであるとする。ザイレさんによれば「仏教の教義は時に複雑で、直感に反するように聞こえるかもしれませんが、釈尊(歴史上の仏陀の敬称)は、人間とは何かを探求しようとしていたのです。生きるとはどういうことか、どうすれば有意義な人生を送れるのか、彼の後継者たちは今日に至るまで考え続けているのです。言い換えれば、信条や出身国に関係なく、すべての人に等しく当てはまる、とても共感できる問いだと思います」と語る。

* 奈良は710年から784年の間に都が置かれた。唐(中国)の都・長安をモデルにし、10万人以上の人々が暮らしていたとされる。