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March 2023

金が彩る日本の金工の歴史

  • 黒川廣子・東京藝術大学美術館館長
  • 後藤祐乗を祖とする後藤家の後藤一乗(ごとう いちじょう。1791〜1876年)作『草花に虫図三所物』(東京国立博物館蔵)(1858年)。上段左(2点):目貫(めぬき)、上段右:小柄(こづか) 下段:笄(こうがい)
  • 鈴木長吉作『十二の鷹』(部分) (1893年)、国立工芸館蔵、重要文化財
  • 平松保城『黄金酒盃』(1993)(径6.5センチメートル、高さ4.2センチメートル)
  • 『灌頂幡(かんじょうばん)』のクローズアップ(東京国立博物館蔵)(7世紀)
  • 松田権六作『草花鳥獣文小手箱(そうかちょうじゅうもんこてばこ)』(1919年)(縦23.5センチメートル、横21センチメートル、高さ15.8センチメートル)
  • 吉田泰一郎作『サンダース』 2022年、個人蔵 (高さ65センチメートル、幅50センチメートル、奥行115センチメートル)
    ©2023 Pokémon. ©1995–2023 Nintendo/Creatures Inc./GAME FREAK inc.
    Photo: Saiki Taku
黒川廣子・東京藝術大学美術館館長

日本における、金を始めとして銀、銅などの素材を使った工芸品「金工品」の特徴とその歴史について東京藝術大学美術館館長の黒川廣子さんに話を伺った。

後藤祐乗を祖とする後藤家の後藤一乗(ごとう いちじょう。1791〜1876年)作『草花に虫図三所物』(東京国立博物館蔵)(1858年)。上段左(2点):目貫(めぬき)、上段右:小柄(こづか) 下段:笄(こうがい)

日本で現代の金工の技術は、いつの時代から発達したのか教えてください。

現代まで受け継がれる日本の金工の技術は、金などの金属素材を使った刀の飾り金具である「刀装具(とうそうぐ)」を作る技術から多くを受け継いでいます。刀装具が高度に発達したのは、17世紀初頭から19世紀後半半ばまでの約260年間、徳川幕府が日本を治めた江戸時代でした。江戸時代、武士階級は刀を必ず身につけていたので、刀装具の需要も高かったのです。刀装具を作る技術が発達するとともに、刀装具の細工も、より凝ったものになっていきました。

将軍や大名など有力武家向けの刀装具は、後藤祐乗(ごとう ゆうじょう。1440~1512年)を祖とする後藤家が主に作っていました。「三所物(みところもの)」*など、後藤家の刀装具の特徴の一つが、金、そして、金と銅を混ぜた「赤銅(しゃくどう)」という合金を主な素材として使っていたことです。しかし、江戸時代中期になると、後藤家とは別の金工の流派が、金、銀、銅などの金属の配合の組み合わせや量を変えることで生まれる様々な色の合金を用いて、色彩の豊かな刀装具を作るようになりました。

この時代、西洋では、身分の高い人や裕福な人向けに、宝石を使った煌(きら)びやかな装飾品が数々作られましたが、日本では宝飾品はあまり作られませんでした。しかし、金、銀、銅などの金属を素材に、鋳金(ちゅうきん)、鍛金(たんきん)**、彫金(ちょうきん)(参照)などの技術を駆使し、見事な装飾品が数多く生まれました。特に江戸時代末期から近代化を迎える明治時代(1868〜1912年)にかけて、その技術は頂点に達したと言えます。ただ、作品全体が金で飾られたものは少ないです。むしろ、金を部分的に使い、ほんのりと輝かかせた作品が多いです。

近代化が進んだ明治時代に、日本の金工はどのように変化したのでしょうか。

明治時代の始まりとともに、武士の時代が終わります。中央政府は1876年に軍人や警察官などを除き、刀を身に付けることを禁止しました。これにより刀装具の需要が激減したため、刀装具の職人は、和服の帯に付ける「帯留」など装飾品や花瓶などの工芸品を作るようになります。

明治時代初期、金工などの工芸品を保護・奨励するために、政府は、工芸品を製作・輸出するための会社を設立したり、海外で開催される万博に参加したりなどの取組を行います。さらに、政府は1890年には「帝室技芸員制度」を設けます。これは金工、絵画、漆工、陶磁、染織などの分野において規範とすべき優れた作家を帝室技芸員に任命し、美術と工芸の振興、後進への技術の伝承を図る制度です。帝室技芸員は1944年までに79名が任命されました。

1890年に最初の帝室技芸員の一人として任命された金工家が、刀装具の職人であった加納夏雄(かのう なつお。1828〜1898年)です。加納は、鏨(たがね)をまるで絵筆のように自在に使い、動植物の図柄を金属に彫ることができました。そうした技術が評価され、加納は政府が発行する金・銀・銅貨のデザインと原型の極印(ごくいん)彫刻を担いました。当時、日本の貨幣製造を支援するために政府に招かれていたヨーロッパの技術者がその原型を見て、加納の技術の高さに驚いたと言われています。

明治時代以降の代表的な金工家として、その他にどのような人が挙げられるでしょうか。

例えば、1896年に帝室技芸員に任命された鈴木長吉(すずき ちょうきち。1848〜1919年)です。鈴木は、1893年のシカゴ万博に『十二の鷹』を出品し、絶賛されました。『十二の鷹』は、高さ約40センチメートルから50センチメートルの12羽の鷹が、金、銀、赤銅などの素材で作られています。自宅に鷹を飼って観察しながら作った作品は、非常に写実的で迫力があります。この作品を見て金工を学ぼうと決心し、東京藝術大学に入学してくる学生もこれまで数多くいました。

鈴木長吉作『十二の鷹』(部分) (1893年)、国立工芸館蔵、重要文化財

その他、帝室技芸員では、金、銀、銅や合金を使い、多彩な色の花瓶、煙草入れ、指輪などの作品を残した海野勝岷(うんの しょうみん。1844〜1915年)、そして、帝室技芸員ではありませんが、海野に匹敵する技術の持ち主と評価される正阿弥勝義(しょうあみ かつよし。1832〜1908年)も挙げられます。正阿弥は、金の象嵌(参照)など彫金の技術を駆使し、蛙や鶏などの生物の一瞬の動きを描写した花瓶や灰皿などの作品を作りました。

最近の作家の中では、平松保城(ひらまつ やすき。1926~2012年) が挙げられます。ジュエリー作家である平松は、ブローチや指輪などの作品で日本や海外で高く評価されています。彼の作品には、金などの金属を意外な形に加工した、人を驚かせるようなものもあります。厚みのある金箔を使った『黄金酒盃(おうごんしゅはい)』もその一つで、くしゃくしゃの器は金属とは思えないような柔らかさを感じます。

平松保城『黄金酒盃』(1993)(径6.5センチメートル、高さ4.2センチメートル)

金を使った美術品や工芸品を見ることができる博物館や美術館はどこでしょうか。

東京都台東区の上野公園の一角にある東京国立博物館の法隆寺宝物館では、7世紀に作られた『灌頂幡(かんじょうばん)』を見ることができます。灌頂幡は仏教の儀式で使われる飾りで、銅の板を切り抜いて作った様々な文様の上に、金メッキが施されています。国宝に指定されている実物は現在、パーツごとに分解されて展示されていますが、表面にかすかに金が残っているものもあります。館内では、天井から吊るされた全長約5メートルという巨大な灌頂幡の模造品も展示されています。これらを見ると、当時、既に極めて精巧な金工の技術が存在したことが実感できます。日本の金工の歴史を語る上で欠かせない作品と言えます。

『灌頂幡(かんじょうばん)』のクローズアップ(東京国立博物館蔵)(7世紀)

東京国立博物館近くにあり、私が館長を務める東京藝術大学美術館でも、展覧会の開催期間中のみですが、様々な美術品や工芸品を見ることができます。今年(2023年)3月31日から5月7日までは「買上展(かいあげてん)」が開催されます。東京藝術大学では、学生が卒業する際に作った作品の中で特に優秀な作品を買い上げて収蔵する制度があります。今回の展覧会では、これまでに学生から買い上げた1万件を超える絵画、彫刻、金工、映像などの中から厳選した作品を展示します。展示品の中で、金を使った作品で特に優れたものの一つとして、金工ではありませんが、後に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される松田権六(まつだ ごんろく。1896〜1986年) による蒔絵***の箱『草花鳥獣文小手箱(そうかちょうじゅうもんこてばこ)』が挙げられます。箱には、躍動感溢(あふ)れる鳥や鹿などの動物が描かれていますが、漆の上に金粉を表面全体に蒔き、漆が乾かないうちに、一気に動物の輪郭を針金で引っ掻いて描くという技法が使われています。

松田権六作『草花鳥獣文小手箱(そうかちょうじゅうもんこてばこ)』(1919年)(縦23.5センチメートル、横21センチメートル、高さ15.8センチメートル)

また、石川県金沢市の国立工芸館(参照)でも、様々な工芸品が展示されています。今年3月21日から6月11日まで開催される「ポケモン×工芸展 ―美とわざの大発見―」は、20名のアーティストがポケモンをテーマに作った作品の展覧会です。金工では、東京藝術大学の卒業生で、彫金の技術を用いて立体作品を作っている吉田泰一郎さんや、彫金の分野で人間国宝の桂盛仁さん(参照)らの作品を見ることができます。

吉田泰一郎作『サンダース』 2022年、個人蔵 (高さ65センチメートル、幅50センチメートル、奥行115センチメートル)
©2023 Pokémon. ©1995–2023 Nintendo/Creatures Inc./GAME FREAK inc.
Photo: Saiki Taku

金工を含め、日本の工芸品の特徴は、非常に繊細な作りであること、素材の特性が最大限に活かされていることだと思います。その中でも、金が醸し出す効果や、金、銀、銅といった様々な素材が生み出す豊かな色彩も楽しんでいただきたいです。もともと金属は硬く、冷たいというイメージがありますが、日本の金工家たちの技術によって、先に述べた『黄金酒盃』のように、柔らかさを表現できることにも着目していただければと思います。そうした日本の素晴らしい工芸品の数々を日本で、海外の方々に間近で見ていただきたいです。

* Highlighting Japan 2022年10月号「日本における金の生産と活用」参照 https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202210/202210_01_jp.html
** 鋳金は金属を溶かして鋳型に流し込んで形を作る技術。鍛金は金属をたたいて形を作る技術
*** Highlighting Japan 2022年5月号「日本における漆の歴史と文化」参照 https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202205/202205_01_jp.html